BlogKenJr.
カスガシカオ志望である作者が、広く世の中に認知してもらうためのあらゆる実験を行うための日記。またカスガシカオになるまでの過程を随時報告していきます。
シンドラーのリフト
20060623230344
これに関するネタはやらないでおこうと思っていましたが。

たまたま行った仕事先で遭遇してしまい、思わず写真を撮ってしまいました。

その某施設の方の話だと、やはり頻繁にトラブルが起こっていたそうです。

しかも、一年以上も点検に来なかったこともあったそうです。

その方たちは、そんなものなのかと、あまり気にしていなかったそうです。

しかし、今回の事件を受けて、

「まさかうちが。」

と改めて思ったそうです。

こういった事件がある度に、各所から次々と同様の事件が多発するのを不思議に思っていました。

しかし、同時期に一辺に発生しているのではなく、明るみになっていなかっただけで、ずいぶん前から継続的に発生していたのでしょう。

ただ、明るみになっていないといっても、それは世間一般に、という意味です。

恐らく僕が行った施設でも、トラブルが起こったときに、管理会社なり、当のシンドラー社なりに、報告というかクレームを出していたと思います。

その時点で適切な対処をしていれば、今回世間一般に明るみになるきっかけとなった、あの悲惨な事件も防げたのではないでしょうか。

もう一つ、職員の方が気になることをおっしゃっていました。

そこは、恐らく国営か、少なくとも公営の施設でした。

シンドラー社は価格が安いため、入札方式で建設業者や備品業者などを決めることの多い公営施設では、そこを使う割合が高くなると、報道で聞いたことがあります。

その職員の方は、

「お偉いさんが自分達で決めたところだから、不備があってもなかなか明るみに出そうとしない。」

といったニュアンスのことをおっしゃっていました。

もし、このことが本当だとしたら、シンドラー社だけでなく、それを使用する一部の人達の不適節な対応が、つもりつもって今回の事件を引き起こしたとも言えるでしょう。

公共の施設であり、誰もが使用する可能性のある場所で、そのような一部の権力を持った公人が、自らの不備を隠蔽することで、不幸な事件を引き起こしたとしたら。

シンドラー製だけでなく、エレベーターだけでもなく、様々なものに対して気を付けてみたほうがいいのかもしれません。

事件が起こってからではなく、起こる前に。

[テーマ:時事ニュース | ジャンル:ニュース]

【2006/06/23 23:03】 | コラム・エッセイ | トラックバック(0) | コメント(2) |
PSE法
ちょっと真面目に、この法律について考えてみたいと思います。

まず、PSEとは何かというと、「Product Safety,Electorical Appliance&Materials」の略だそうです。

なにやら分かりにくいですが、日本語で言うと、「電気用品安全法」と言います。

どんな法律かと言うと、これまでは国が電気用品に対して、安全であるという保障を行っていたのを、民間が自主的に検査することで、製造者もしくは販売者等、自らが製品に対する保障が出来るようになるということです。

目的は、電気製品の安全性を高めることに加え、メーカー等に製品保障
をする権限を与えることで、より自由に製品を販売できるようにすることらしい。

しかし、実際は大手企業はともかく、中小企業のリサイクル業者などは、自主検査する費用を賄えず、現在抱えている在庫を販売できなくなるところが多い。

さらに中古品というとイメージが悪いかもしれないが、この法律の対象には楽器等も含まれるため、いわゆるビンテージものも販売できなくなると言う。

こうなると、「古きよきもの」、という言葉自体がもはや保障外の語になってしまうのだろう。

経産省は、自らの役割を「権利を譲渡する」といううまい言葉を使って、放棄したのだろうか?

その上、既得権は手放さないようにしているところが、この法律の問題を生み出しているように思える。

2001年4月からPSEマークをつけた製品が、メーカーの自主検査によって、安全基準をクリアした電気用品として流通しているが、それ以前は国がそれを保障していた。

つまり、2006年4月以降に販売が規制される製品は、もともと国が「これは安全ですよ」と言っていたものなのだ。

これでは、自らがそれまで太鼓判を押していた製品を、自ら安全かどうか疑わしいといっているようなものだ。

近頃問題になっている、耐震強度偽造問題でも国のチェック機関の甘さが浮き彫りにされた。

今回のPSE法も、問題が起きたときに対して、経産省が自らの責任を放棄するための布石であるのではと、深読みしてしまう。

しかもなおもたちが悪いのは、責任は放棄しておきながら、「製造業者」として登録させることによって、自らが持つ支配権は手放さないということだ。

今、世界中でエコロジーのために、リサイクルを推奨する動きを見せている。

そんな世界の潮流に対して、逆行しかねないこの法律。

少し考えてみてはいかがでしょうか?

[テーマ:PSE法 | ジャンル:政治・経済]

【2006/03/11 00:14】 | コラム・エッセイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
この世で一番
20060223183909
嫌いなものの一つが渋滞です。

先日もカーナビと渋滞の関連性について言及しましたが、嫌いなものの事ほど深く考えるってことありますよね?

まあ今日も例にもれず渋滞に巻き込まれてしまっているわけですが。

今日は渋滞のメカニズムについて考えてみたいと思います。

昔の漫才のネタに、

「渋滞の一番先頭って何してるのでしょうね?」

なんていうのがありました。

ホントに渋滞の先頭って何してるのでしょうね?

あなたは渋滞の先頭になったことはありますか?

渋滞には大きく分けて二種類あると思われます。

一つは分かりやすい方で、事故や工事によって生じるものです。

事故した車や工事作業によって二車線の所が一車線になったりするわけですから、元々その道が持つ交通量の処理能力が減少し、車が溢れてしまうわけです。

もう一つは、普通に考えると何故渋滞が生じるのか疑問に思う、自然渋滞です。

みなさんも渋滞に巻き込まれていたのに、特に工事や事故の横を通り過ぎる事なくまた車が流れだし、不思議に思ったことはありませんか?

しかしこちらの方も、先ほどの交通量の処理能力という理屈で考えると説明可能です。

先ほどの場合は事故などによってその道の処理能力自体が低下し、自然渋滞の場合は交通量が能力を上回る場合です。

あまり気持ちの良くない例えで申し訳ないのですが、事故などが原因の場合は、人間でいうと血管に血栓などができ、つまって脳溢血になるのと似ています。

自然渋滞の場合は、血液が血管の太さを上回る量流れようとして破裂するのに似ています。

そんな場合があるのかは知りませんが。

もちろんそれが同時に起こる場合もあり、そんなときは大渋滞です。

人間なら確実に死んでいます。

しかし逆に言えば、いくら交通量が増えても、その道の処理能力を上回らなければ、渋滞は生じません。

事故や工事があっても、それによって低下した処理能力を上回る交通量でなければ、やはり渋滞は生じません。

なにか当たり前のことをつらつらと述べているようですが、それでもやはり、渋滞の先頭が何をしているのか、何故交通量が増えると、渋滞が生じるのか正確に説明するのは難しいと思います。

通行止めが原因になる場合ももちろんありますが、大半は道幅が狭くなるにせよ、交通量が増えるにせよ、全く止まってしまうわけではなく、流れている場合がほとんどです。

つまり先ほどからの疑問である渋滞の先頭は何をしているかというと、決して止まっているわけではなく、進んでいるのです。

むしろ通常の速度に戻すように、スピードを上げている場合が多いぐらいです。

それでは何故先頭はスピードを上げているぐらいなのに、そこから渋滞が発生するのでしょう?

信号待ちをしている場面を思い出して下さい。

あなたは信号待ちの列の後ろの方にいます。

信号が青に変わりました。

あなたは青になった瞬間に車をスタートさせるでしょうか?

そんなことをしたら、前の車にぶつかってしまいますよね。

僕は時々、今信号待ちをしている車が、青になった瞬間に同時に同じ加速度で発進したらぶつかることもなく、はやく進むのに、と思うことがあります。

しかしそんなことは不可能で、普通は先頭の方から順番に発進していくはずです。

つまり、この発進のタイムラグが渋滞の原因なのです。

車の台数が増えれば増えるほど、その時間差が先頭と最後尾では大きくなり、下手をすると信号がまた赤にかわってもスタートできないこともあるのです。

信号待ちや工事を避ける以外にも、交通量が多い時に先頭の車がスピードを落とすと、やはり後ろの方で時間差が大きくなり、渋滞が生じます。

同じ交通量でも車線数が多い場合は、一車線当たりの台数が少なくなるため、先頭と後ろの時間差が小さいため、渋滞が生じにくくなるのです。

くだらないことを、さも理論的であるかのように語ってきましたが、以上は全て僕の勝手な想像です。

しかもこの文章、5日ぐらいかけて打ち込んでいるのですよ。

ほんとくだらないでしょ。

それぐらい渋滞は暇で、嫌いだということです。

【2006/02/23 18:39】 | コラム・エッセイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
電柱
20060222180320
電柱に登る人と登らない人がいます。

今日は電気屋さんと一緒に仕事をしたのですが、その人たちが乗ってきたトラックに、高い所で作業するためのゴンドラがついていました。

それを見て、子供の頃のことを思い出しました。

馬鹿となんとか…

じゃなくて、なんとかと煙は高い所に昇るといいますが、僕はなんとかの方なんで、必死に電柱に登ろうとしていましたね。

もちろん最近はそんなことはしていないので、どうゆう風になっているのかわかりませんが、昔の電柱は下の方に出し入れが出来る足をかける棒みたいなものがついていました。

それを勝手に引き出して、登っていくのです。

しかしおそらく、僕のようななんとかが多かったのか、怪我人が出たのか、いつの間にかその引き出せる棒は無くなり、ただ穴が空いているだけになりました。

本職の電気屋さん等が工事をするときは、その穴に足場になる棒をさしこんで登っていくのでしょう。

なにか代わりになるような棒をさしこめば、登っていけそうな気もしましたが、その頃にはさすがに電柱にへばりついていると通報されそうな程度には育っていたので、自然と電柱登りにチャレンジすることもなくなりました。

いまでもなんとかなことに変わりはないですが、大人のくせに仕事でもなく電柱に登ろうとするほどのなんとかではありません。

でもたぶん世の中には、生まれてから一度も電柱に登ったことのない人もいるのでしょうね。

僕らはこの世に生まれたとたんに、様々なカテゴリに分けられます。

男なのか女なのか。

日本人なのか、アメリカ人なのか。

貧乏なのか裕福なのか。

そしてその後も一生そのカテゴリ分けは続きます。

中卒なのか大卒なのか。

東京出身なのか地方出身なのか。

A型なのかB型なのか。

女が好きなのか男が好きなのか。

社長なのかニートなのか。

猫好きなのか犬好きなのか。

そんな様々なカテゴリ分けに、思い悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

でもそれらの分類の何処に、電柱に登る人と登らない人ほどの違いがあるのでしょうか?

あなたは電柱に登る人ですか、登らない人ですか?

もしこの質問をくだらないと思うことが出来たなら、あなたが思い悩むカテゴリ分けという名の差別も、軽く笑い飛ばしてやりましょう。

全ての分類は、自分を含めた人間が、勝手に作り出したものですから。

[テーマ:エッセイ | ジャンル:小説・文学]

【2006/02/22 18:03】 | コラム・エッセイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
日本橋首都高移転計画
今フジテレビの「スタメン」を見ていて思ったこと。

現在日本の起点である東京の日本橋(にほんばし。大阪のはにっぽんばし)の上を通る首都高速を移転する計画が浮上しているそうです。

それについて番組でアンケートをとったところ、項目は三つ、

小泉首相案「日本橋の上に通る高速を移転(予算は5000億〜6000億)」

それに反する石原東京都知事案「日本橋自体を他の場所に移転」

第三案「現状維持」

結果はやはり現状維持が一番多かったですが。

そのときの出演者たちのコメントが気になりました。

「日本橋は日本の顔ともいえる場所だから、上に高速が走っているなんて外国に対して恥ずかしい。昔は貧しかった勢いであんな場所に高速を造ってしまったが、いまこそ新たな日本橋税をとってでも高速を移転するべきだ。」

だいたいこんな内容のことを司会者とゲストコメンテータが言っていました。

ちょっと待ってくださいよ。

確かに日本橋が日本の顔のひとつであると言う点に関しては否定しません。

しかし、出演者の日本橋に対する熱い思いを聞くたびに、なにか違和感を感じました。

今現在は関東に在住していて、東京にも毎日のように仕事で行きますし、日本橋近辺にも良く行きます。

しかしもともと名古屋出身である僕にとって、日本橋よりもナナちゃん人形のほうが思い入れがあります。

ナナちゃん人形や金のしゃちほこがぶっ壊されると聞いたら、

「そんなもん税金使ってでも阻止しないかんて!」

と言うでしょう。

だから東京や関東出身の方たちが同じように日本橋を守りたくなる気持ちも分かりますが、それに対して5000億円もの税金を使うのはどうかと思うのです。

今回コメントをしていた知識人の方たちはどうか分かりませんが、中央集権を危ぶむ声を上げている方もいたのではないでしょうか。

しかし頭では機能の地方分散を唱えていても、心の奥底ではやはり東京中心の考えが抜けないのだなあ、と改めて思い知りました。

こんなことじゃ名古屋が首都になる日はまだまだ遠そうですね。

あなたはどこ出身ですか?

思い入れのある場所はありますか?

日本橋のためにお金を払えますか?
【2006/02/19 23:44】 | コラム・エッセイ | トラックバック(0) | コメント(1) |
なんとなく
20060215223925
帰りの車で思ったのですが。

カーナビってありますよね?

僕の車にも付いているのです。

車を買うときに、最初は車でDVDが見たいなと思って、ナビはついでって感じでした。

僕は地図を見るのがわりと好きで、知らない道に入っていくのが大好きです。

だから、道に迷いながらも自分で地図を見ながら、正しい道を探り当てていくことに快感すら覚えていました。

そんな僕ですから、ナビなんて付いていてもそんなに使わないだろうな、なんて考えてました。

選んだナビもトヨタの純正で、機能もこだわりはありませんでした。

ところが、いざ使ってみるとこれが凄く便利。

特に僕の仕事は関東一円の毎日異なる場所に向かうので、車を買う以前は、いつも前日に会社のパソコンで地図を出していました。

ナビを買ってからは、朝現場にいく前に、ピピッと住所を入力するだけで、後は簡単に連れていってくれます。

今では毎日使っています。

僕のナビはDVDナビなので、ナビを使っている間はDVDを見れません。

買った当初はそんなに使うことになるとは思いもしなかったので、何も考えていませんでした。

しかし今ではナビとDVDが同時に使えない機種を選んでしまったことに後悔を覚えるほど、ナビに依存しちゃっています。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

ナビを使っていて、渋滞に巻き込まれた時にふと思ったこと。

この渋滞って実はカーナビが作り出しているのではないかということです。

どういうことかといいますと、僕がある現場から会社に帰る時に、ナビを使ったとします。

会社の場所はもちろん常に一緒ですので、出発点が違っても、最後の方は大体いつも同じルートになります。

途中のルートも、東京の北側からはこのルート、西側からだとこのルートといった具合いに、大体決まったルートをナビは示してきます。

ということはです。

先ほど書きましたが、僕のナビはトヨタの純正です。

おそらく、少なくとも同じトヨタの純正ナビは他の人の車に乗っているものでも、同じルートを示すはずです。

もしかすると他社製品も同じルートを示すかもしれません。

そうなるとみんながみんな同じ道を通ることになり、当然渋滞するわけです。

もちろんみんながみんな同じ出発地点から同じ目的地に向かうわけではないです。

しかしそもそも渋滞というものは、大体同じ目的地に向かう車だけで発生してしまうものです。

違う目的地に向かう車達は車達で、別の場所で渋滞を発生させているのです。

ですから、もし同じ目的地に向かう車が全て同じルートを通ることになったら。

最近はナビの普及率もかなり高くなってきて、こうしてまわりを眺めてみてもほとんどの車に搭載されているのが見えます。

それらのナビが全て同じルートを示していたとしたら、全てそれが原因とはいいませんが、かなりの割合を占めているのではないでしょうか。

話はそこで終わりではないのです。

もしナビが渋滞を産み出すほどの影響力を持つのだとしたら。

逆にナビによって渋滞をなくすことができるのではないでしょうか。

つまりナビのメーカーごとに、あるいは同じメーカーであっても例えば製品のロットナンバーごとに、違うルートを示すようにするのです。

おそらく、現在のナビが示すルートというのは、主要道路を通る標準的なルートでしょう。

僕のナビも例え「距離優先」というモードでルート選択したとしても、裏道までは使うことはなく、ほとんど主要道路を使います。

しかし道というものは、ある程度の距離があれば無数の組み合わせがあるものです。

今の渋滞を解消するぐらいに分散させるだけの選択肢はあるはずなんです。

確かに現在のナビでも渋滞情報を表示し、迂回ルートを示してくれるものもあります。

しかしそれはあくまで生じた渋滞を避けるものであって、渋滞を未然に防ぐものではありません。

ですから、どこかで渋滞は生じることになりますし、ナビを搭載していない車は避けることが出来ずに巻き込まれてしまいます。

ナビを搭載している車は一方で渋滞を作り、他の車を巻き込んでおきながら、自分達だけそれを避ける手段も持っているのです。

他の車からしたらたまったもんじゃないですよね。

ですから各メーカーさん、どうかルートを微妙にずらすこと、真剣に考えてみては如何でしょうか?

しかし、これまでの話は単なる僕の想像の話だったわけですが、もし現実が僕の想像通りだとしたら。

ナビによって渋滞が生じるにしろ、解消されるにしろ、人間が機械に支配されているようで、恐ろしい気もします。

便利だけど、機械に支配された世界。

不便だけど、自分の意思で行動できる世界。

あなたはどちらを選びますか?

なんて教訓めいたことが言いたいわけじゃなくて、そうゆうこともあるんだなあって考えていただけたら幸いです。

自分で考えて行動しているつもりが、いつの間にか何者かにコントロールされている、というのが一番恐ろしいことですから。

[テーマ:ぼやき | ジャンル:小説・文学]

【2006/02/15 22:39】 | コラム・エッセイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
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プロフィール

けん@neo

Author:けん@neo
作家を目指しながらも、日常に追われる日々を過ごす35歳。
名古屋生まれの、名古屋育ち、だが現在は関東在住。
作家に限らず、同じように自分の才能を世の中に送り出したいと考えている方たちと、交流がしたいです。

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